ありうべき未来は、アートから生まれる
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いまここで、よく生きる。
展示の様子
高木健作×ALT=いまここで、よく生きる展
高木健作
KENSAKU TAKAGI / ARETECO HOLDINGS 代表取締役CEO
10年間で50以上の事業を立ち上げ、大手企業へ事業承継した事例も多数。経営者・起業家・投資家・マーケターとして活動する一方、独自の哲学・思想を背景にアーティストと作品を共創。
『いまここで、よく生きる』展示会ステートメント
心身問題(Mind-body problem)の歴史は長い...
1649年のデカルトによる心身二元論 -心とは自由意志であり、身体とは機械的運動を行うもの- は多くの批判を受けながら、現在にまで続く議論の端緒としてよく知られている。ライプニッツは神を用いた「予定調和説」によって精神と身体が別個のものでありながら協働しているように見えることを精密な時計を例に説明し、メルロ・ポンティは身体を「意識と物質とが分かち難く受肉化した両義的存在」と捉え直すなど、多様に思想は展開してきた。現代では、心身問題は心脳問題へと新たな装いを持ち始めている。神経科学や認知科学といった領域が「脳」という新たな視座を持ち込み始めたからだ。最も物質主義的な立場に立てば、心は脳の機能の一部として物質的に理解できる。身体もまた脳(あるいは神経系)によって感覚され、運動する物質である。そんな物質としての私は、遺伝と環境の相互作用の産物だ。遺伝か環境かといった議論はもはや古びている。エピジェネティクスの研究が進み、遺伝子のどのような要素が個体に発現するかは、環境からの刺激によって変わると考えられるようになったからだ。
私たちの遺伝と与えられた環境は親の行動によって決まり、その親の行動を規定する遺伝と環境もまた…。
葛藤の中で下した苦渋の決断も事前に決まっていたなら、その結果責任に誰がなぜ応じるのか。
どんなに神経科学の発達が進もうと、多くのことが科学的に明らかになろうと、それでも私たちのこの生の実感は存在する。
等価な身体、同化する魂
遺伝子によって作られ、環境によって育まれた私という存在は、ずっと前からいまあるように運命づけられているんだろうか。
ビリヤードの玉が複雑にぶつかり合いながら最終的にたどり着く場所が、最初に動き出した時点でもう決まっているかのように。
もしも魂というものがあったなら、ビリヤードの台を上から眺めて、この身体の行く末を見守っているのかもしれない。
こうして眺めていると、どれが私かわからなくなってくる。誰も彼も、同じ魂を分け合っているから。
吉田貴寿 荒川陸 荻原秀斗
脳の欲求に惑わされる魂
脳が複雑な電気信号の連鎖に過ぎないとは信じられないほど、時に人類は天才と遭遇する。ガウディやミケランジェロは魂と接続していたとしか思えない。
時折魂の存在を知覚できたと思えても、すぐ日常がそれにモヤをかけてしまう。脳がいつも新しい刺激を求め、身体を勝手に動かしてしまうからだ。
私の中に脳があるはずなのに、脳の中に私がいるような気がする。もしかしたら魂も、脳の中に迷い込んでしまっているのかもしれない。
魂を探しに行こう。
鈴木稀恵
人生ゲームと、我々の魂と、
魂こそ私だとしたら、脳と身体は魂を運ぶ乗り物だ。そう考えれば脳が生み出す感情も、身体の持つ感覚も、魂にとっては旅路を楽しむアトラクションである。
人生ゲームのルートは最初から決まっている。でもルーレットを回すことはできる。そして何より、私たちはその人生を楽しむか、楽しまないかを選ぶことができる。
せっかく身体を持って、いまここを生きている。そこから見える風景を、私だけが見ているこの世界を楽しみたい。
訳知り顔で俯瞰するのではなく、魂の赴くままに身体を乗り出して、遊び心で世界を味わい尽くそう。
彫刻:大野力 絵画:小川慧
物騙りの原点
身体を持つ私たちにとって、異なる次元にある魂を知覚することは難しい。しかし、私たちはそれを求めずにはいられない。
原点となる第1話から夢を描いて突き進む彼らと、物心ついたときからその物語を楽しんできた私たち。
クッキリとした輪郭を与えられた主人公に憧れを抱く、グラデーションの中に生きる私たち。
語ることは、騙ること。私たちの脳は物語を好むけれど、主人公になれないとどこかで気づいている。それでもなお、主人公の物語を生きたいと願う。
届きそうで届かない彼らの次元に、私たちの身体はにじりよる。光と影と地と図とが反転した瞬間に触れるたび、共鳴する一瞬を物語ろうと。
長谷川彰宏 下山明彦
青の世界
魂を導く普遍的な真理に向かって歩く道のりがあるとしたら、私はそれをどう経験するだろうか。幼い時からの遠い憧れに呼びかけられるような、どこか懐かしい始まりの場所に向かう旅情。
情報の濁流の中にいる内は気づくこともできない、しかし一度気づいてしまえば、厳然として存在する青白い光。ただ、私はその光が照らす道のりを観ずる。
心の作用はたらきの一部喜びまたは憂ひを感ずる深ければ、魂ことごとここにあつまり 一―三 ダンテ神曲
即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 二八―三〇 ダンテ神曲
長谷川彰宏
The fated villain
あの日の覚悟が、あの時の涙が、最初から全部運命づけられていたとしたら、あの輝かしい勝利も、あの一瞬の躊躇いも仮初のように思えてくる。
まだ見ぬ人生の筋書きとその回帰に気づいてしまったら、私たちは途方に暮れてしまうのだろうか。
では、邪悪な敵であることが宿命だとしたら。
征き滅ぼすこと、夢見た不死を叶えられぬこと、黄金色の戦士から報いを受けること。全ては定められ繰り返す物語だとしたら。
折りたくとも折れぬ己の野望が打ち破られ続ける絶望の果てに、宇宙の帝王はどんな表情を浮かべるだろう。
ある日の通学路
生まれた瞬間に、私たちはもう何かを受け取っている。与えた側も何を与えたのかわからないままに。そうして私は気づけば歩き始めている。
整備された通学路に窮屈さを覚えた時、足跡と共に密かな抜け道を見つけて思わずそちら側へと踏み入れる。「これは僕の道だ!」
青い光、黄色い影、そして反転する世界。
自分一人じゃない、でもみんな一緒でもない道。ずっと、ずっと歩いた果てに、通学路に戻ってきている。
長い夢だったのか、私は一歩も進んでいなかったかのようだ。でも、あの窮屈さとは違うモノを肌で感じる。
そしてあの抜け道は、いまも誰かに見つかるのを静かに待っている。
長谷川彰宏
極大/極小
重いものと軽いもの、開いたものと閉じたもの。
太陽と太陰、天と地、生と死。
中国思想の重要概念、陰陽思想の世界の見方。対立する異なる2つの気が、リズムを持って補い合い、ひっくり返っていまを成す。
一見違って見えている、デジタル世界も同じこと。私の脳もそうらしい。とても小さな世界の中で、0と1とが律動しながら、世界の意味を成していく。
極大としての宇宙、極小としての私。混沌としたリズムの中に、世界の全てが隠れてるのかもしれない。
小川慧
展示会までの道
人類で一番早く走る人は、100mを10秒も掛けずに駆け抜ける。ゆっくり歩く人だと90秒くらい掛かるだろうか。
本展示会場「MORIO」に着く手前の100m。その100mを歩くのに、18000秒を掛けてみる。
錆と傷が世界を完璧に構成していることに気づく。水墨画のような陰影が時の流れと共に刻み込まれている美しさに触れる。
ウサイン・ボルトの経験した9秒58は彼にとってどんな時間だっただろうか。知覚する全てを味わい尽くすような世界の経験だったに違いない。
あなたにとっての100mは、行きと帰りでどんな風に姿を変えるだろう。あなただけがそれを決められる。
よく生きる人にとって、世界は完璧に美しい。
五十嵐拓也
現在偉大なアートとされる絵画や彫刻作品の多くは、元々貴族や実業家などのパトロンによって依頼され作られたものだ。現在のイメージと異なり、当時のアーティストはいまでいう職人に近い存在であった.....
そんな時代にALTは、言語化し尽くすことのできない未来の感覚=ビジョンを持った起業家と共に作品を作るアーティストグループとして活動している。
いまここ展 制作メインメンバー
下山明彦
展示会運営/作品制作
東京藝術大学デザイン科
修士一年
中川瑛
展示会運営/テキスト
The University of Edinburgh STS (MSc)
株式会社ちえもの代表
長谷川彰宏
展示会運営/作品制作
東京藝術大学デザイン科
修士二年
小川慧
展示会運営/作品制作
東京藝術大学デザイン科
修士一年
大野力
東京藝術大学彫刻科
修士二年
吉田貴寿
東京大学 博士
五十嵐拓也
東京藝術大学デザイン科 卒
浅井美緒
東京藝術大学デザイン科
修士一年
荒川陸
Carnegie Mellon University
修士一年
林宋其
東京藝術大学デザイン科
学部二年
武藤琴音
東京藝術大学デザイン科
学部一年
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