「起業のレンズで問い直すアーティストの価値」
「起業のレンズで問い直すアーティストの価値」
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アーティストの価値
アーティストとは多義的な存在である。芸術の全ての側面など包含し得ないことを自覚した上で、現代アートに議論の射程を絞り、敢えて我々が理想とするアーティストの姿を定義しよう。アーティストとは、① 人間固有の感覚に基づく有形無形の「問い」を立て、② 巧みな感覚的表現を通して、世界の分岐を作り続ける存在である。アーティストと起業の交点を模索するために、社会の中で活かすべきアーティストの特異性を明確にしておく必要があるので、それぞれについて深掘ってみよう。
① 人間固有の感覚に基づく有形無形の「問い」を立てること
優れたアーティストの作品には鋭い「問い」が含まれている(1)。無論その「問い」が明示的ではなく、作品という思考や感覚のインターフェイスの次元において潜在的にしか表現されないこともあるが、そのより高次においては多くの優れた作品には「問い」に相当する概念があると考える。
ここで立ち止まってみる。確かに「問い」を立てることに長けたアーティストは多くいるが、落ち着いて考えてみると「問い」を立てる能力そのものは何もアーティストの専売特許ではない。起業家も科学者もみな「問い」という仮説を立てながら世界を探求する仕事だ。ではなぜアーティストなのか。
この時代にそれでもアーティストが存在し続ける必要性は、人間固有の感覚を基盤にした「問い」を作る能力が求められているからである。そもそも科学が加速し、アルゴリズムや深層学習が細部まで浸透した社会では、「答え」よりも「問い」を作る能力が不足することになる。大半のモノやコトは、計算機によって自動的に最適化されていくからである。その結果残っていくのは、より掴みどころのない、データではまだ表現しきれないような人間的な感覚であろう。だから科学や事業が扱う戦略や需要に駆動された「問い」とは対照的に、アーティストは社会の束縛条件から部分的に自由になり、より本質的で普遍的な人間の悩みや喜びに基づいて「問い」を立てることが必要なのである。
② 巧みに感覚的な表現をすること
アーティストが非言語表現に優れていることは言うまでもないが、現代の文脈に乗せて考えよう。
現代は「VUCAの時代」とも言われるように、VUCA【 Volatility (変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・多義性)】が増大し続けている(2)。そんな中、我々は正確に対応する言語表現や解決策が存在しない場面に多く直面する。ややもすると二項対立に落とし込んで認知コストを下げたくなるが、アーティストは言葉では表現しきれない多様性や複雑性を極端に削ぎ落とすことなく、向き合うべき現実を直感的に理解可能な表現に変換してくれるのである。
メディアや政治家のように対立化や単純化をしなくて良いのは、「問い」対して具体的に表現された「答え」がまだ存在しないことを前提とできるからである(3)。近年「アート思考」というものがアーティストから抽出され遊離している背景には、従来の思考様式では捉えきれない複雑な社会と向き合うための方法として、アートに救いを求めていることの現れだろう。
これまでアーティストの固有性を議論してきたが、芸術・事業・科学の領域に依らず社会のゲームチェンジャーになり得るのは洗練された「問い」を発することができる者なのだろう(4)。例えば、起業において起業家は必ずしも現在と連続的でない野心的な未来のビジョン(「問い」)を示すところから始め、「答え」に相当する仕組みはその後生み出していく。世界の分岐を予言することが価値を持ち、それによって資金を得る構造はアートにも通ずるところも多く、起業家とアーティストの親和性は高いと考える。
Chief Art Officer (CAO)
前段落ではアーティストの固有性に着目し、アーティストの価値は「人間志向の『問い』を感覚的な表現を通して表現し、複雑な世界の分岐を作り続けること」にあるとした。この段落ではその価値を「Chief Art Officer(CAO)」という概念によって起業のプロセスに落とし込んで活かすことを考える。
EPRS (2019)(5)を参考にすると、起業家とアーティストが交わる空間は以下のように分類できる。
a. アーティストが外部者として起業家の空間に入る
b. 起業家が外部者としてアーティストの空間に入る
c. アーティストと起業家がいずれも当事者として日常的に空間を共有する
そこでアーティストは 1. 外部者として(aに相当) 2. 当事者として(cに相当)の2通りの方法で事業に関わることが想定できる。あり得る形としての2つの CAO の形を個別に議論し、それぞれが ALT の活動とどう紐づけられるかを述べる。(便宜上、①の意味で通常の CAO の表記を、②の意味でイタリックの CAO の表記を用いて区別する。)
外部者として事業に関わる
はじめに論じる CAO は、アーティストが企業の社外取締役となるような役割の場合である。
近年、シリコンバレーの企業を中心にChief Philosophy Officer (CPO) として哲学者を雇ったり、哲学コンサルティングのサービスを利用したりすることが増えている。人文系のバックグラウンドを持った人材への需要が増えた背景として、① 従来のメソッドが通用しなくなったから、② 未来に向けて何をすべきか、何を達成したら成功なのかもわからなくなってきている、という傾向が指摘されている(6)。この状況下においてCPOは、起業家や経営者が目先の業務に追われると失われがちな俯瞰的な視野や未来へのビジョンを一歩引いた外部の視点から補助する役割を期待されている(7)。
既にビジョンやミッションが一度浸透した企業において、CAO は後天的にその意義に揺さぶりをかけ、新しい未来の可能性を「問い」という形で提示する役割を持つことになる。それを達成するために CAO に求められる条件は ① 前提として外部の人材であること、② アーティスト性 ③ それと同時に経営者であることである。
① 外部の人材であること
社外の人間が例えば社外取締役のような形で CAO になることは、会社を見る際の距離感を無限遠の俯瞰から内部の微視的挙動の観察まで自在に変化させられる点で重要である。もちろん、社内人材は会社への理解が深い。しかしそれは CAO にとってはむしろ思考を制限する要因となってしまいかねない。社外から任意の距離感で会社を見つめられる人材を取り入れることで、世界の中での会社の存在意義を確立することができる。
② アーティスト性
アーティスト性とは、先に議論したアーティストの固有性、つまり人間志向の「問い」を立てる能力と言い換えることができる。そしてその「問い」を言葉としてではなく、巧みな感情表現によって作品に具現化させることで企業内での対話を促進させる。コンサルタントとは違って、CAO は具体的な助言や答えを提供しないだろう。新しく目指すべき方向に関する合意とは、対話を通して時間をかけてボトムアップで形成されていくべきものであるからである。
③ 経営者であること
それでは任意の人気なアーティストを CAO にすれば適切なのかというとそうもいかない。それは、経営自体もプロフェッショナルな営みであり、経営者の強みとアーティストの強みが上手く噛み合う場が必要であるからである。経営者への理解がないと、経営という筆で良い絵を描くことはできない。特に、創業初期のような熱狂の良い部分を取り出して現在の組織運営に応用するような介入は、その時期を経営者として経験していなければ難しい。翻せば、創業からエグジットに相当する成功を経験したアーティストならば、会社の定性的な成長を継続するという「課題解決型アプローチ」では達成が困難な状態を、経営者性とアーティスト性を組み合わせて意匠するだけの能力を持ち合わせている可能性がある。
この形の CAO は、ALT が実践している起業家とのワークショップにおける、ALT の役割に固有名詞を与えるようなものである。
当事者として事業に関わる
次に論じる CAO は、アーティストが起業におけるチームに含まれているという形である。
アーティストと起業家は世の中に存在しなかったものを作るイノベーターであるという点において、根本的に似た存在であると言える。それゆえに、アートの専攻を持つことと、起業(entrepneurship)に関わることの親和性は高い。例えばアメリカの芸術大学を卒業した学生の進路を調べると、アートの学位を取得した人が起業やベンチャー企業に関わる割合が、STEM や他のクリエイティブな領域と比べて2倍以上上回っていた(8)。この背景として、STEM 教育に Art を加えた STEAM 教育を掲げる欧米の大学では、両者が出会う環境が豊富に整えられていることが挙げられる。また 2016年のアメリカのユニコーン企業のうち、21%が大学で芸術教育を受けていた人が共同創業者になっていたことが報告されている(9)。入口だけでなく、その結果成功している例も多く存在することを示している。
ここで、アーティスト自身が CAO として起業のプロセスに深く関わっている場合を考えたい。このCAOに必要な性質として、 ① 前提として創業メンバーであること ② アーティスト性 ③ デザインの力 の3つを挙げられるだろう。外部者としての CAO の議論と呼応させながら検討を進めよう。
① 創業メンバーであること
これまでアーティストと起業家は親和性が高いと述べてきたが、それはただ両者を引き合わせれば化学反応が起こるということを意味しない。主に利用する表現手段が違えば(言語 vs. 非言語)、生きてきた文脈が異なることが多いからである。ゆえに、アーティストと起業家が真に共創関係になるためには、何かしらの「物語」を共有している必要があると考える。この「物語」がアーティストの思考の自由を制約するとの批判があるだろうが、アーティストは意識的に枠の外に出る思考を得意とする。「物語」という枠ができることによって、初めて枠の外に出ることができ、相対的に自由になり得るのだ。
ALT はこれまで社外の CAO のような立ち回りをしてきた。企業の社員とのワークショップを通してアーティストの共感力を引き出し、同じ「物語」を共有することを図るが、その手法の限界としてアーティストにとってその「物語」が根本的に自分ごとになることはないと考えられる。翻って、創業メンバーにアーティストがいる場合には、CEO とCAO は共通基盤を築きながら起業のプロセスを進めることができるのである。
② アーティスト性
先に議論したアーティスト性は、他者のビジョンやミッションという入力に呼応した出力という形での「問い」であった。一方で、当事者としての CAO の場合、真っ新なキャンバスに自分の筆で絵を描き始めることができる。つまり、特定の技術や事業アイデアを通して実現したい世界に、人間志向の「問い」を発することによって主体的に参画することである。そして、そこで留まることはない。アーティストが作る作品はチームの目指す未来の象徴として機能し、作品に仕込まれた揺らぎが自己内省機関としてアップデートへの原動力にもなり得るところに、アーティストである意味がある。
③ デザイン力
創業メンバーとしての CAO は、成果の判断が難しいアート作りだけでなく、実務的なデザインの仕事も担う必要がある。つまり、顧客の課題解決に向かう「デザイン顧客中心志向」と「課題空間」により長く留まって革新を行う「ブレイクスルー志向」(10)の技術を同時に内面化し、器用に往復運動できる人物である必要がある。経営者性は CEO に委ねられるのでその必要性は下がるが、経営者からは一歩引いた立場から、事業に対して異なる視座をもって事業と社会のギャップをデザインで埋めていくことが求められるのである(11)。
要約すると、CAO は起業のプロセスにおいて、アートを用いることでビジョンに主体的に参加しながら揺らぎを与え、社会との接合面をデザインを通して整える役割である。そしてこれが、ALT Youth という仕組みの中で実践され得ると考えているため、次の議論とする。
ALT Youth
起業家とアーティストは共創するポテンシャルがあり、出会うべきである。2種類の CAO はその社会実装の形の一つとして提案した。どちらの形が相応しいかの判断は、実践をしながら時の淘汰を待つ必要がある。アーティストを外部者とした CAO の実践は ALT が既に行っているが、内部者としての CAO の実践に関してより具体的に述べることとする。
現在の日本に目をやると、芸術は教養学部の一角に収められているか、専門の大学の役割として分業されてきた面が大きい(12)。それに伴い、若い起業家とアーティストが出会う可能性のある機会は限定的だった。そのような状況下で、ALT の中にALT Youth という東京大学と東京藝術大学の学部生による組織が結成された(2022年5月) 。アカデミア、ビジネスとアートの三者間を往復運動する下山を中心としたロールモデルが存在する環境下で、起業家や学者を志す東大生はアカデミア・ビジネス側として実践的な経験を積み、藝大生はアートを制作し売るところまでを経験する。その間、同じアトリエに集う間に対話や交流が生まれ、突然変異的な役割の組み替えが起こることでアカデミアとビジネス、アートの垣根を超えていく。ALT Youth は ALT の加速度的な活動を実務的に支える目的もありながら、よりメタなレイヤーでは関心や技術を異にする東大生と藝大生が出会い、共創し得る場が設定された点において意義深い。
今後 ALT Youth は未来の起業家とアーティストをブリッジしていく。既に、東大の起業家輩出コミュニティ(DICE)との関係を構築したり、藝大生の課題の作品にプログラミング技術を提供したりする関わりが生まれている。これらの活動を通して、起業家とアーティストは異なる技術や強みを持ちながらも、根本的には類似性が高いことが学生のレベルからも徐々にわかってきた。ここに、東大生をCEO(または CTO)、藝大生を CAO としたスタートアップの形が現実味を帯びる。そして、その未来を筆者が一番自分ごととして描いており、先駆けになることを決意している。
また ALT Youth には起業家だけでなく、将来学者や官僚になるだろう学生も関わっている。その間、芸術との様々な要素の組み合わせを実験し、どのような関係を築いていくことができるかを模索していく。このボトムアップの積み重ねの先に、世界の全てを芸術的な活動に塗り替える、ALT の大きな目標が達成されていくだろう.
註
1 吉井仁実『<問い>から始めるアート思考』(光文社、 2021) p.3-12
2 Murugan, S., Rajavel, S., Aggarwal, A. K., & Singh, A. (2020). Volatility, uncertainty, complexity and ambiguity (VUCA) in context of the COVID-19 pandemic: challenges and way forward. International Journal of Health Systems and Implementation Research, 4(2), 10-16.
3 吉井仁実『<問い>から始めるアート思考』(光文社、 2021) p.8
4 同 p.189
5 European Parliamentary Research Service. (2019). The historical relationship between artistic activities and thechnology development.
6 鈴木陸夫「グーグル、アップル、フェイスブック・・・ 世界的企業がこぞって「哲学者」を雇う理由」(doda,2020)https://careercompass.doda-x.jp/article/5071/
7 Percy, S ”Why Your Board Needs A Chief Philosophy Officer” (Forbes, 2018) https://www.forbes.com/sites/sallypercy/2018/03/09/why-your-board-needs-a-chief-philosophy-officer/?sh=4822977642e3
8 Paulsen, R. J., Alper, N., & Wassall, G. (2021). Arts majors as entrepreneurs and innovators. Small Business Economics, 57(2), 639-652.
9 Maeda, J. (2017). Design in tech report. MIT Technology Review.
10 Robbins, P. (2018). From design thinking to art thinking with an open innovation perspective—A case study of how art thinking rescued a cultural institution in Dublin. Journal of Open Innovation: Technology, Market, and Complexity, 4(4), 57.
11 長谷川豊,Eugene Kangawa,若林恵「未来をつくる,インハウスデザインの新しいあり方」https://wired.jp/branded/special/2016/sony-bridge/introduction/
12 長木誠司「芸術創造連携研究機構 発足シンポジウム『学問と芸術の協働』報告」(東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部,2021)https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/628/open/628-01-1.html
引用文献
吉井仁実『<問い>から始めるアート思考』(光文社、 2021)
Murugan, S., Rajavel, S., Aggarwal, A. K., & Singh, A. (2020). Volatility, uncertainty, complexity and ambiguity (VUCA) in context of the COVID-19 pandemic: challenges and way forward. International Journal of Health Systems and Implementation Research, 4(2), 10-16.
European Parliamentary Research Service. (2019). The historical relationship between artistic activities and technology development.
Robbins, P. (2018). From design thinking to art thinking with an open innovation perspective—A case study of how art thinking rescued a cultural institution in Dublin. Journal of Open Innovation: Technology, Market, and Complexity, 4(4), 57.
Paulsen, R. J., Alper, N., & Wassall, G. (2021). Arts majors as entrepreneurs and innovators. Small Business Economics, 57(2), 639-652.
Maeda, J. (2016). Design in tech report. MIT Technology Review.
吉田幸司. (2020). グーグル、アップル、フェイスブック…世界的企業がこぞって「哲学者」を雇う理由.Doda X キャリアコンパス.
Sally Percy. (2018). Why Your Board Needs A Chief Philosophy Officer. Forbes.
Cotani Tomonari. (2021). 長谷川豊×Eugene Kanagawa×若林恵 THE BRIDGE. WIRED.
長木誠司. (2021). 芸術創造連携研究機構 発足シンポジウム「学問と芸術の協働」報告. 教養学部報. https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/628/open/628-01-1.html